備忘録

ただの日記になると思います

言語化するということ。

少し年の離れた仕事の先輩と、数か月に一度、なんとなく予定を合わせて会っている。

「会っている」という表現になるのは、同じ会社に勤めているけど、違う事業所の所属だから。

お互いが定時に終われそうな日とか、出先で仕事が終わるときとか、そんなタイミングで集まって、ご飯を食べたりお茶したり散歩したりしている。

年が離れていること、事業所が違うこと、それから異性だということ。

そのあたりも相俟って、お互いちょうどいい距離感なのかなと思う。

仕事の愚痴も言うし、弱音も吐くし、たまには青臭い理想論を語ったりしもしている。

いわゆる「メンター」というやつなのかもしれない。

 

彼と話をしていて、指摘されたこと。

わたしはどうやら「言語化する」癖があるらしい。

感覚的、情動的に話せばよいことでも、言葉を尽くして表現しようとしているらしい。

例えば「上司が超むかついて~」とか、「こないだ観た映画が超面白くて!」とか、そんなこと。

自分がその物事についてどのような感情を抱いたのか、それはなぜなのか、近い感覚はどんなものなのか……自分の心の動きに名前を付けてアウトプットしないと、きちんと受け入れられないらしい。

もっと勢いで、その場の感情でわー!って動いてもいいんじゃない?と言いつつも、きっと君にはすごく難しいことなんだろうねぇ、とちょっと呆れたように笑われるのがいつもの流れ。

 

指摘されて確かにその通りだと思った。

その場の勢いや湧き上がってきた感情を、一度言葉に落とし込まないと認識しづらい。

そもそも情動的に動くことに苦手意識さえある。

なぜ自分がそうやって動こうとしているのか、なんてことを言葉にして確認しないと動けない。そんなことやってる間にずいぶん熱は冷めて、結局動かないことが多い。

感情的になった自分がどうなるのか、ってことが怖いのかもしれないなぁ。

 

本を読むのも映画を観るのも舞台を観るのも好き。

泣いてしまうこともあるし、ずいぶん引きずることもある。

普段極力セーブして、感情が波立たないようにしているぶん、外から強制的に揺さぶられたいのかなと思う。

 

嬉しいことも悲しいことも言葉にして咀嚼して飲み込んで、自分で抱え込める容量にしているんだろうな、たぶん。

 

 

大切なひとが、おそらくもうそれほどの時を待たずに、遠くへ旅立つことになる。

イムリミットは明らかに迫っている。

会いに行って、少し泣いて、でもその間もわたしのなかには言葉が渦巻いていた。

今のこの状況を、感情を、この先に起こるであろうことを言語化して、覚悟して、そのときに静かに備えている、つもり。

 

そううまくはいかないであろうこともわかっている、ということまで言語化してしまう。